副学長メッセ−ジ

会津考3週間目

会津大学副学長 池上 徹彦

株主総会で自ら退任を認めてもらった3日後の7月1日に会津大学の副学長
として就任、その変化は極めて大きい。しかし、当の本人は、具体的な事柄 を検討するとその変化に驚くが、「ライフスタイルの新たな開発」の点からは、 その変化はなめらかである。まだ、直接聞いてはいないが、東欧・ロシアから 大学へやってきた仲間に比べれば大したことはない。

「会津は?」と問われると、「街を歩くとその厚みを感じる。ちょうど、幾重 にもなった地層を観る思いがする。」と答えている。最近は、といってもまだ 1ヵ月にも満たないが、縦の深さに加え横の広さも実感している。先週、たま
たま長野県木曽の奈良井の宿のとなりの平沢へ立ち寄り、石井漆店の若主人と 話す機会があった。

「来年、会津若松で漆屋の集まりがあるのですよ。とにかく会津は近くなった。」 聞けば磐越道が車で5時間余の距離にしてしまったとのこと。東京在だったも のにとっては、だましうちにあったような気分である。会津に帰っておこられ ないように、厚手の根来(ねごろ)の碗と盆を購入した。ちなみに、偶然にも そこは家内がファンである根来作りの夏目さんの家の真ん前であった。木曽谷 で会津を感じる。東洋医学的な広がり、あたかも会津のツボが全国に分散して いるようではないか。

「会津は?」と問われ、さらに加えれば、「非京都文化のつまったところ」とも 答えている。その証拠をあげるにはまだ時間が足りないが、恐らく「反」が時間 の経過と共に「非」となったのであろうか。京都は生身の人間を認めないという ルールのゲームを昇華している。ゲームのねらいは異なるが、似たようなルール で動くハイテクビジネスの世界で身を削った者として、会津のあたた
かさはたまらない。イングランドのコツウォルド、米のアトランタでも同じ思
いを持ったことを思い出した。

グローバルコンペティションのなかにあって21世紀を生き延びることを願い、 丁度1年前に国は科学技術基本計画を策定した。その戦略として、大学の産業界 の連携をうたった。しかし現実には、その実行は、かなりの困難さをともなう と心配されている。

日本の歴史ある大学はその伝統と慣習が大きすぎる。つまり、昨日の長所が、 明日のための障害になってしまっているからである。その点、会津大学は非常に 良い位置にいる。就任挨拶に伺った折、佐藤文部省事務次官の「国立大学は変化 するのに時間がかかる」との苦言にたいし、「県立大学の方が変化は速い
かもしれませんよ」といわば見得きってきた。私にとっては佐藤福島県知事の会津大学 への期待と実行力をすでに確認していた上での本気の発言であった。
私はこのような新しい舞台での役者の一人に加えてもらったことを、非常にうれ しく思う。奇しくも、最初の野口学長代理役は、山内会津若松市長を社長とする 「リエゾンオフィス」のオープンの式典であった。

産学連携は、産業のニューフロンティア造りへの貢献に加え、学生の教育へ大き な貢献をする。また、真理探究を含むサイエンスの研究の発展にも大きく貢献する。 会津大学をとりまく環境は最高である。あとは、プレイヤーと脚本次第、われわれ の責任は重い。